織田 信秀 公
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万松寺殿桃厳道見(桃厳道見大禅定門)天文21年3月3日没、42歳。
織田信定の子、信長の父。
万松寺創建主。 |
| 大雲永瑞大和尚 |
永禄5年4月22日没、81歳。
僧、万松寺開山。
尾張雲興寺の祥厳秀麟師に仕え、雲興寺中興の祖と崇められる。
末森城主で、甥の織田信秀公の帰依を得て亀岳林万松寺の開祖となった。 |
| 大原 幽学 |
安政5年3月8日没、62歳。経世。
名は左門、号は静香。尾張藩の重臣、大道寺家の出。
神道、儒教、仏教を一体化とする性学を開き、下総(千葉県)に住んだ。
結成した「先祖株組合」は世界最初の産業組合といわれ、消費組合組織の結成や耕地整理の実施にも努力をはらった。農民のために、農業の振興と社会改善に生涯を捧げた。 |
| 沢井 貞増 |
天竜院法船乗得。慶応4年1月25日没、44歳。尾張藩用人。書院番頭、800石。
青松葉事件に連座して死を仰せつけられた。
明治維新後、無実の罪としてその刑罰は取り消された。 |
| 大道寺 雨田 |
天倪雨田。明治19年10月26日没。尾張藩用人3500石。
名は直良、通称主水、晩年雨田を名とし、華陽洞と号した。
尾張藩間宮六郎の弟、大道寺氏を嗣ぐ。学問を好み、書画の道にも通じ、また平曲の名手。
刀剣、古銭を愛し、その鑑識でも有名だった。 |
| 牧 墨僊 |
大寿亀岩墨僊。文政7年4月8日没、50歳。名は信盈、通称助左衛門、尾張藩士。
喜多川歌麿に浮世絵を学び「歌政」と名乗る。
歌麿没後、葛飾北斎に師事した。名古屋に浮世絵を定着させた人。
著者に『一宵話』『写真学筆』『真草学画苑』などがある。 |
| 海厳 宗奕 |
元和7年3月23日没。
僧、万松寺7世、永平寺21世。智光大通禅師。
佐々成政の孫。雄山玄英師に教えを受け万松寺21世。のち熱田に全隆寺を興し、開山となった。 |
| 瑞岡 珍牛 |
文政5年4月9日没、81歳。
俗姓佐藤氏。九州天草島東向寺霊泉恵照に参し、東向寺13世、美濃竜泰寺32世となる。
のち道元禅師550遠忌により永平寺に入って36世に就く。
江戸駒込吉祥寺の師家として声名声に高く、文化14年尾張10代、斉朝公に招かれて万松寺に入る。27世。永平寺名古屋別院の開山。 |